実家の母が、同居する年頃の孫たちの言動が理解できないし、心配だと訴えてきます。
女の人あるあるで、たぶん、実母は聴いてほしいだけで、解決法など求めていません。
社会福祉士・介護支援専門員という職業柄、わたしはひと様の話を聴くのは好きな方ですし、まずはジャッジせず聴くに徹するのがいいのは分かっています。
相手が実母となると、そんな「分かっている」が吹っ飛びます。
実母が話すそばから、
「いや、でもさ・・・」
「同じことばかり言ってもしょうがないじゃん」
とジャッジの嵐です。
同居の孫を心配する実母に、
「その『心配』は、『孫たちがどうにかなった時のわたしが心配』なだけで、結局は自分のことを心配してるだけでしょ?」
「孫たちに、自分の思う通りになってもらいたいだけでしょ?どれだけ自分勝手なの?」
「孫たちとは年代が違うし、そもそも別の人間なんだから、自分の常識を押し付けるなんて無意味!」
「孫たちの言動を見張ってないで、自分の楽しみに集中しなよ!」
と、まあ、厳しいことを言っていました。
そして、気が付きました。
わたしが実母にしていることも、同じつっこみが当てはまる!
孫を心配する実母を心配するわたし自身には、
「その『心配』は、『実母がどうにかなった時のわたしが心配』なだけで、結局は自分のことを心配してるだけでしょ?」
「実母に、自分の思う通りになってもらいたいだけでしょ?どれだけ自分勝手なの?」
「実母とは年代が違うし、そもそも別の人間なんだから、自分の常識を押し付けるなんて無意味!」
「実母の言動を見張ってないで、自分の楽しみに集中しなよ!」
と、言えます。
自分を高い棚にあげて、実母にえらそうに意見していましたが、「お前もな!」です。
恥ずかしいので、自戒のため記事にしてみました。
実母の言動を見張っていないで、自分の楽しみに集中します。