働いていて、「仕事を辞めたい!」と思うのはよくあることです。
他に好きな仕事、やりたい仕事をするために仕事を辞めたいと思うこともあれば、とにかく辛いから仕事を辞めたいと思うこともあります。
わたしは、「『辛いから仕事を辞めたい』のは、ただの甘えや逃げで、いけないこと」と考え、頼まれもしない我慢を続け、自分も周りも苦しんだことがあります。
そして、自分の気持ち、本心と向き合うなら、「辛いから仕事を辞めたい」はただの甘えや逃げではなくなることを知りました。
わたしが4回転職したうち、1番エネルギーを使ったのは3番目の職場を辞めると決めることでした。
「辛いから仕事を辞めたい」と思う方へ、こんな一例もあることを知っていただき、ご自身の気持ちときちんと向き合うきっかけにしていただけたら幸いです。
正社員で9年半務めた職場を辞めるまで
3番目の職場
わたしが働いてきた職場は、高齢者福祉やその関連分野です。
高齢者福祉の職場での転職は、わたしが新卒で就職した2001年頃も今も、特別珍しいことではありません。
3番目に働いたのは、高齢者の総合相談窓口機関でした。
それまでの仕事の中でお世話になり、憧れていた方が、新たに設けられる相談機関で一緒に働こうと誘ってくださいました。
1番目の職場で働きながら取った、社会福祉士の国家資格や医療事務の資格を活かすこともでき、正社員(正職員)としての採用でした。
3番目の職場は忙しく、電話、訪問、来所など数多くの相談に対応していると飛ぶように時間が過ぎました。
福祉の仕事は「記録が命」な面があり、いくら素晴らしい仕事をしても記録がないと実績として認められませんし、自分の仕事を振り返ることもできません。
相談件数が増えると、時間外に記録せざるを得なくなっていきました。
個別相談だけでなく、地域住民の方向けの講座の企画・準備、さまざまな会議など、時間外にこなさなければならないことも増えていきました。
24時間の連絡体制をとる相談機関だったため、通常の勤務時間に加え、週2~3回は平日の夜間・早朝、祝祭日等、社用携帯に転送されてくる電話対応もしなければなりませんでした。
3番目の職場に入ってすぐ、わたしは結婚し、すぐに娘を授かりました。
出産のときは、産休と1カ月間の育休だけ取り、3カ月後に職場復帰しました。
仕事と家庭の忙しさが加速する中、夫が心身のバランスを崩し、療養が必要になりました。
経済面の不安も大きく、「わたしが頑張って仕事しなくちゃ」と仕事最優先の生活になっていきました。
頼まれてもいない我慢をして仕事をしていました
療養生活に入った夫から、「俺の分まで働いてくれ」と頼まれたわけではありません。
仕事が大好きで楽しくて、その結果、仕事最優先の生活になっていたわけでもありません。
自分の不安を消したいため、不安から逃げたいため、仕事を最優先にしていました。
そんな頑張りは、自分に我慢を強いて、無理を重ねさせ、感覚がおかしくなります。
苦手な仕事にストレスを感じることすら、「わたしの知識や意欲が足りないのが悪いんだ」と自分を責める材料になります。
同僚たちが嫌がる仕事も、「わたしがもっと頑張らなくちゃ・・・」「わたしさえ我慢すれば・・・」とどんどん飛び込んでいきました。
自己犠牲のような感覚で日々を過ごしていたので、面倒な仕事を避けようとする(ように見える)同僚が許せず、とてもやさぐれた気持ちでした。
いつか仕事を辞めたら・・・、!?
当時のわたしは、
「仕事は大変で辛いけど、たいてい仕事はそんなものだし、大変さと辛さを乗り越えることこそ素晴らしいことなんだ!」
と信じていました。
自分が3番目の職場や仕事に感じる違和感にふたをして、
「夫の分まで、わたしが頑張らなくちゃいけない!」
と思い込んでいました。
一方では、
「いつか仕事を辞めたら、電話当番を気にせず、思いっきりお正月を楽しみたいな・・・」
「いつか仕事を辞めたら、1泊以上の家族旅行に行けるかな・・・」
と考えてもいました。
「辛い、でも辞められない・・・」と思い込みながら過ごしていたある日、唐突に思いました。
「あと半年後にこの世からいなくなるとしたら、わたし、今すぐここ(の仕事)を辞めたい・・・!」
目が覚めたような気がしました。
いつかではなく、今、家族との時間を心から楽しみたいと、痛切に思いました。
ようやく、3番目の職場を辞める決心がつきました。
頼まれてもいない我慢と自己犠牲の時期が始まってから、4年近く経っていました。
夫の反応
わたしが1番最初に「辛いから仕事を辞めたい」と伝えたのは夫です。
夫は、数年の療養を経て、新しい職場に就職したばかりでした。
次は決めないまま、とにかく仕事を辞めたいわたしに、
「ちょっとゆっくり休めばいいさ。楽しい仕事って、あるぜ。」
と言ってくれました。
わたしの退職が再就職したばかりの夫に余計なプレッシャーを与えないかと心配していたのですが、夫は、わたしに頼られることでさらに元気を取り戻していきました。
2人の母の反応
結婚と同時期に就職し、正社員として約9年半勤めた3番目の職場を辞めることを知った義母と実母の反応は、個性がよく表れていました。
2人ともわたし達家族を思ってくれているのは同じですが、あまりの表現のちがいに「考えることは人それぞれ」ということを思い知りました。
義母の場合
3番目の職場に勤める間、わたしの帰宅時間はどんどん遅くなりました。
保育園の年少組から小学校2年生にかけての約4年、娘の帰宅先は夫の実家でした。
義母が、娘とわたし達夫婦の晩ごはんを毎日のように作って待ってくれていましたが、一緒に食べられるのはまれでした。
わたしの分の晩ごはんは義母が容器に詰め、家に帰る夫と娘に持たせてくれました。
わたしがどれだけ遅く帰る日が続いても、義父母は黙って4年近くわたし達家族の日常を支え続けてくれました。
夫の次に、義母に退職しようと思うと伝えました。
義母は、
「決心してくれて、ありがとう。」
「あなたたちの家庭が壊れずに済んでよかった。今のところじゃなくても仕事はたくさんあるんだから、大丈夫よ。」
と泣きながら喜んでくれました。
わたしの不在が義母をどれだけ心配させていたのか初めて思い知り、わたしも涙が出ました。
心配しながら、わたしにも夫にも、一言も意見せずに見守り続けてくれた忍耐力と懐の深さに、参りました。
義母は、
「あなたの上司は快く退職を認めるタイプじゃないだろうから、『姑が怒っている』と伝えなさい。たぶん、そうしないとすんなり辞められないよ。」
とも言ってくれました。
義母に仕事の愚痴を聞いてもらったことはありませんでしたが、柔和な義母がそのときは毅然と助言してくれました。
実際、義母の予想は的中しました。
わたしは「実は、夫の両親も『いい加減にしろ!』と怒っていまして・・・。」と上司に伝えることで、とてもスムーズに退職できました。
実母の場合
実父母には、職場と退職までの打ち合わせが終わってから報告しました。
実母は、
「もったいない・・・!」
「次(の仕事)は決まってるの?」
「お金はどうするの!?」
と言いました。
わが家と実家は車で15分ほどの距離ですが、出産後、仕事が忙しくなるにつれて実家を訪ねる回数が減り、当時は年に3~4回立ち寄る程度になっていました。
仕事の愚痴をこぼす元気もなかったので、実母はわたし達家族の状況を詳しく知りませんでした。
それでも、次の仕事のあてもなく、せっかく取った資格を活かせる職場や正社員でいることの恩恵を捨てようとするわたしに放った言葉が、あまりにも実母らしくて笑ってしまいました。
実母は、
「もう決めたことなら仕方がないけど・・・」
とぶつぶつ言っていましたが、実父から、
「よく考えて決めたことなんでしょう。今まで、お疲れさまでした。少しゆっくりしてください。」
とフォローのメールをもらいました。
半年後に自分がこの世からいなくなるとしたら・・・?
どうして、「『半年後』に自分がこの世からいなくなるとしたら・・・?」と思ったのか、今も謎です。
「半年後にこの世からいなくなるとしたら、頼まれもしない我慢をしながらの仕事中心の生活で、やさぐれてひねくれた気持ちでいっぱいだなんて、なんてバカバカしいんだろう・・・。」と心底思いました。
3番目の職場にいながら家庭優先の働き方に変える元気は、当時のわたしにはありませんでした。
自分の気持ちにふたをする日が続いて、自分の好きなこと、やりたいことがわからなくなっていたので、まずは自分の嫌なこと、ストレスに感じることを辞めました。
同僚や、仕事でお付き合いのあった方々に退職することを伝えると、
「あなた自身やご家族のためにも、(3番目の職場を)辞めるのは良いことだと思うよ。」
と、そっと言ってくださる方があまりに多く、驚きました。
3番目の職場を辞めたおかげで、家族と過ごす時間が増え、自分の好きなこと、やりたいことを自分と相談しながら行動に移せるようになりました。
月々の収入は減りましたが、毎日の生活に困るわけではありませんし、何より、気持ちに余裕ができました。
自分の気持ちを押し込めるような無理や我慢は長く続かず、自分も周りも幸せになれません。
ふと感じる違和感、ひらめき、気持ちはあなどれません。
あなたが「辛いから仕事を辞めたい」と思ったら、
- 何がそんなに辛いの?
- 誰にも文句を言われないとしたら、どうしたい?
- 生活の中で本当に最優先したいことは何?
と自分自身にたずねてあげてください。
周りがどう思うかではなく、自分がどう思うのか、を大切にしてください。
そうやって自分と相談して出した結論は、甘えでも逃げでもなくなりますよ。