2019年9月、小学6年生の娘が転んで左手首を骨折しました。
おかげさまで今はすっかりよくなりましたが、そう頻繁に経験できることではないので、折ってから治るまでの体験をまとめてみました。
転ぶ → 骨折 → ギプス固定
体育館で転んだ娘の全体重33㎏を支えた左手
娘が骨折したのは、体育館で転んだときに左手を床に強くついたからです。
追いかけてくる同級生とボールを取り合ううちに、ふたりで転んでしまったそうです。
幸い、一緒に転んでしまった同級生は無傷でした。
娘は左手首の痛みが強く、保健室に行きました。
娘自身は、痛みよりも手首を動かせないことに焦ったそうです。
養護教諭の先生からわたしに連絡があり、腫れはないけれども痛みが続いていたため、受診を勧められました。
夫が受診したことのある整形外科へ
自宅から通える範囲にある整形外科クリニックのうち、夫が診ていただいたことのある整形外科へ行きました。
レントゲンを撮ったあと診察室に入ると、
「折れてますね~。子供さんの典型的な骨折の写真です。」
とお医者さんからお話がありました。
棒がぽきっと折れるような骨折ではなく、柳の若い枝を折り曲げるときに表面が剥がれるようなイメージの骨折なのだと説明を受け、納得でした。
診断名は「左橈骨遠位端骨折(ひだりとうこつえんいたんこっせつ)」で、左手の親指側の骨の骨折です。
娘もわたしも、くじいた程度だろうと思っていたので、ふたりで顔を見合わせて笑ってしまいました。
お医者さんからギプスを巻いていただきました。
シート状の綿を巻き、トイレットペーパーを巻き、ギプスを巻きます。
娘はもちろん、わたしもギプスを巻くところを見るのは初めてだったので、食い入るように見つめてしまいました。
これも職人技なんだろうなと思っていると、お医者さんが、
「『なんでこんなおかしなギプスの巻き方をしてるんだろう』
っていうの、よく見かけるんだよねぇ。
僕も他のところでそう思われてるかもしれないけどね。」
「昔は石膏だったんだけど、今はプラスチックなんだよ。
日本には自然に帰る素材で(ギプスを)作れる技術が、もうすでにあるはずなんだけどねえ。」
とお話ししてくださいました。
指先が動くよう、ギプスに当たって痛いところがないように微調整のカットをしていただき、ギプス固定が完成しました。
念のための痛み止めの飲み薬を処方していただき、1週間後に経過観察のため受診するよう言われました。
ギプスと暮らす娘
ギプス固定中の注意
お医者さんと看護師さんから教わった注意事項は、
・とにかく濡らさない!
・綿を引っ張らない!
・むくみ対策を心がける!
の3つです。
とにかく濡らさない!
ギプスを巻くとき、一番最初に巻いた綿の端が濡れると、カビてしまうこともあるそうです。
特にお風呂は要注意で、ビニール袋をかぶせて縛っても簡単に水が入ってくるので、縛り口をテープで留めるなどする必要があります。
留めるためのテープも、布製や紙製じゃない方がよいとのことだったので、こちらのテープを使いました。
手でカットできるので、便利でした。
他にも、
・ギプスの中の綿が少しでも濡れてしまったら、ドライヤーで乾かす
・濡らせない、ということは、洗えないということ、つまりは匂いがちなので、ウェットティッシュで拭くなどする
と教わりました。
綿を引っ張らない!
ギプスの上下にシート状の綿が出ていますが、これを引っ張ってしまうと全体に影響します。
手いたずらしがちな娘にはハードルが高いと感じました。
むくみ対策を心がける!
ギプスの重みで手が下がっていたり、動きが少なくなったりすると、どうしても手がむくみやすくなります。
指を動かしたり、寝るときに腕を高くしたりするのが大切とのことでした。
さらに看護師さんからは、ギプスは2週間経たずに巻き直すと保険外になるので注意してくださいね、とも言われました。
娘は案外すんなりギプスと共存していました
骨折した部分の「じわっと」した痛みはありつつも、娘はこちらが思うよりすんなりとギプス固定生活を送りはじめました。
痛み止めの飲み薬は、2日後に飲むのをやめていました。
左手のギプスが水濡れ厳禁ですので、お風呂で髪や体を洗うのは手伝いが必要ですが、その他は怖がらずに少しずつふだんの生活動作に左手を添えていました。
教えないのに、着替えるときに自然と「脱健着患(だっけんちゃっかん)」になっているのがおもしろかったです。
(「脱健着患」とは、衣服を脱ぐときは健康な方から、着るときは病気・ケガ・麻痺のある方から、という介護技術の基本です。)
学校や絵の教室では、ギブスを濡らしたり汚したりしないよう、軍手を持参して必要なときにはめていました。
実際にギプスをカバーする他、「濡らさない!汚さない!」という娘の意識付けにも役立ったようです。
家族にとってギプスは時におそろしく、夫は寝返りを打った娘のギプスパンチでしばしば起こされていました。
通院を卒業するまで
骨折1週間後:ギプスの微調整
左手も少しずつ使うようになり始めた1週間後、再度受診しました。
お医者さんはいたずらっぽく、
「ギプスがきれいすぎるなぁ!ハートかなんか描いてもらえばいいのに!」
とおっしゃっていました。
ギプスの親指と人差し指の間が擦れたり当たったりすることがよくあるのだそうです。
娘もその部分が赤くなっていましたが、お医者さんに言われるまで意識していませんでした。
ギプスが当たらないように微調整のカットをしていただきました。
さらに2週間後、ギプスを外すために受診するよう言われました。
学校の遠足やマラソン大会がありましたが、どちらもお医者さんのお墨付きをいただいた上で問題なく参加していました。
骨折部位の痛みも、少しずつやわらいでいったようです。
骨折3週間後:匂ってきたギプスが外れ、シーネ固定へ
骨折から3週間後、ギプスを外していただきました。
受診前にこわごわ匂いを嗅いでみたところ、夫が一日働いてきた後の足と同じ匂いがして、あまりの威力に笑ってしまいました。
3週間も洗わないでいた左手は、かなりの垢まみれでした。
レントゲンを撮り、お医者さんが、
「ここ、ほら、新しい骨が一生懸命できてきているんですよ。骨って健気でしょう~」
とおっしゃいながら、新しい骨ができつつあり、経過が順調であることを説明してくださいました。
患部を押すとまだ痛みがあるので、シーネ固定することになりました。
柔らかい板状のシートを患部に合わせてお医者さんがカットし、少し時間を置いて固まったシートごと包帯で巻きます。
お風呂のときは外せるので、ギプス固定のときよりも匂いの心配はありません。
シーネについては、痛みがなければ外していて構わないが、外し始めたのがいつなのかはきちんと覚えておくようにとの指示でした。
2週間後には治療終了にできそうだから、確認のため受診するようにと言われました。
娘は1週間ほどシーネをしていました。
痛みが治まった後も、学校で下級生から左手をつかまれたり引っ張られたりすると困るので、さらに3日ほど、学校に行くときだけシーネをしていました。
骨折5週間後:みなしだけど治療終了!
骨折から5週間後の通院が最後の受診になりました。
レントゲンを撮って診察室に入ると、お医者さんが説明をしてくださいましたが、残念ながらレントゲンのわずかな変化は素人にはよくわかりませんでした。
娘は骨折部位の触診を痛がらなくなっており、お医者さんから、
「完全ではないけど、もう確実に治るから今日でおしまいにしましょう。」
とお話がありました。
娘が体育の授業で鉄棒をしてもよいかお聞きしたところ、
「リハビリ室にぶら下がれるのがあるから、そこにぶら下がってみて痛くなかったら鉄棒してもいいよ。」
とのご返答でした。
お医者さんと一緒にリハビリ室に移動して試してみたところ、左手の痛みなくぶら下がれたので、めでたく鉄棒も解禁になりました。
治療費:約3カ月後に1割増しで戻ってきます
娘の骨折は休み時間中のけがでしたが、独立行政法人日本スポーツ振興センターの災害共済給付制度の対象になると小学校から説明を受けました。
自治体による子供の医療費助成制度は使わず、保険証のみを使って受診します。
医療費はいったん自己負担3割分を支払いますが、手続きが完了すると支払った3割分に1割追加されたお金が戻ってきます。
お医者さんや調剤薬局さんに書いていただいた書類をそろえて学校に提出すると、約3ヵ月後に指定口座にお金が振り込まれるのだそうです。
保育園時代も含め、娘が受診を必要とするようなけがをしたのは今回が初めてだったので、この災害共済給付制度の存在も初めて知りました。
独立行政法人日本スポーツ振興センターの災害共済給付制度について、くわしくは同法人のサイト「学校安全web」をご覧ください。
めったにできない経験でした
娘にとっては初めての骨折でした。
痛みもあり、慣れないギプス生活は大変だったようですが、
・右利きの娘にとっては、非利き手の骨折だったので、箸や鉛筆は問題なく使えた
・真夏でもなく、衣類の増える冬場でもなかったので、ギプス固定中も過ごしやすかった
と、不幸中の幸いもありました。
そして、
・お友達によるたくさんのさり気ないフォロー
・ふだんあまり意識しない左手の縁の下の力持ちのような働き
・お風呂で体を洗えること
など、いろいろなありがたみを実感できたようです。