最初で最後の出産は逆子→切迫早産→帝王切開→低出生体重児でした

NICUで沐浴も教えていただきましたひとやすみ

生まれてくるとき、産むときの状況は本当にさまざまです。

わたしは、2007年に1度だけ「産む」を経験しました。

「『逆子』『切迫早産』『帝王切開』『低出生体重児』というキーワードをまとって生まれてきたけど元気に過ごしている子」の出産のときの一例をご紹介します。
 

逆子

逆子とは

逆子は、正式には骨盤位と呼ばれます。

骨盤位(こつばんい)とは、子宮内の胎児が下半身を子宮口の側に向けた胎位をいう。俗に「逆子(さかご)」と呼ばれる。

引用元:Wikipedia「骨盤位」

出産が近づくと、赤ちゃんは頭を子宮口の方に向けた姿勢になりますが、逆子は、お尻や足が子宮口に向いた状態です。

産道を通るときに頭が最後になり、頭だけが子宮内に残ってしまうなど出産の状況によっては赤ちゃんが酸欠状態になるリスクが高まります。
 

体操をしてもびくともしませんでした

通っていた産科で逆子(骨盤位)だと言われたのは妊娠28週のときでした。

逆子体操をすすめられ、一緒にお腹の張りを抑える薬も出されました。

家で体操をしましたが、お腹を内側から締め付けられるような痛みがありました。

2回ほど逆子体操をしてみましたが、うずくまってしまうほどのお腹の痛みだったので体操は続けませんでした。

帝王切開つながりで、夫の祖母と不思議な連帯感

帝王切開での出産になると、早々にお医者さんから言われました。

わたしは経腟分娩へのこだわりが全くなかったため、安全な方がいいからとむしろほっとしました。

出産までずっと逆子のままで、性別も生まれるまでわかりませんでした。
 

切迫早産

切迫早産とは

日本では妊娠22週0日から妊娠36週6日までの出産を早産と呼びます。

切迫早産とは、早産の一歩手前の状態のことです。

規則的にお腹の張りや痛みがあり、子宮口が開いて、赤ちゃんが出てきそうな状態です。

早産は誕生後の赤ちゃんの健康リスクが高くなってしまうので、できるだけ妊娠を続ける治療が行われます。

切迫早産についてくわしくは、公益社団法人 日本産科婦人科学会のサイト をご覧ください。
 

絶対安静の3週間でした

妊娠30週目の受診でおなかの張りを抑える薬を出されました。

妊娠32週目の受診で、陣痛ぐらいの間隔でおなかが張っているのですぐに入院するよう言われました。


お医者さんから入院と言われるくらいの状態だったことに心底驚き、「わたしが仕事にかまけていたからだ!」と赤ちゃんへの申し訳なさと不安で大号泣しました。


実は、「お腹が張る」というのがどういうことなのか、自分では全くわかっていませんでした。

入院してほぼ寝たきり状態でしばらく過ごし、ようやく、「これが、『お腹が張る』ってこと、かな…?」と感じるほどの鈍感さでした。

自分の体の感覚に意識を向けるようにしていれば、受診のときに自分からお医者さんに話ができていたのかもしれません。

わたしはだいぶ無頓着に「こんなもんだろう」の連続で、頭の中が仕事のことで一杯だったため、赤ちゃんや体からのサインを見逃していたようです。

入院中は伯母たちの差し入れがおいしかったです

入院後は24時間の点滴と安静が続き、食事・トイレなど必要最低限の動き以外は寝て過ごしました。

もちろんお風呂も禁止で、毎日ホットタオルで体を拭くだけでした。


入院して1週間後(妊娠33週目)の診察で、

「予定日を迎えても赤ちゃんが2500g未満の可能性が極めて高く、NICU(新生児集中治療室)に入院することになると思います。赤ちゃんとお母さんが一緒の病院の方がいいです。」

と、NICU(新生児集中治療室)を備えた病院に転院し出産することをすすめられました。

2か所の転院先候補の中から、自宅から1番近い病院への転院をお願いしました。

転院当日は、点滴があったため救急車で搬送されました。


転院後も24時間の点滴と安静が続きました。
 

帝王切開

帝王切開とは

帝王切開は、子宮切開によって胎児を取り出す手術方法である。

引用元:Wikipedia「帝王切開」

経腟分娩ではお母さんや赤ちゃんへの危険があるときに用いられる手術です。
 

前の晩に手術が決まりました

転院してから約2週間後(妊娠35週目)の診察で、

「赤ちゃんがお腹の中であまり育っていないみたいです。このままお腹にいるよりは、外の方が大きくなれるでしょうから、早目に出してあげましょう。」

とお医者さんに言われ、翌日、帝王切開術を受けることになりました。


平日の夕方に翌日午後の手術が決まり、その晩から手術後まで絶食となりました。

夫と共に急きょ手術の説明を受け、同意書に署名しました。

夫へは、「手術で出血が止まらなかったら、子宮を摘出することがあり得ます。そのときはご主人に同意をいただきますので、必ず付き添っていてください。」との説明もありました。

手術の説明ではいろいろなリスクも伝えられます。

反すうすると不安になるので、考えないようにしました。


赤ちゃんの性別は事前にわからなかったのですが、勝手に男の子だと思い、男の子用の名前しか考えていませんでした。

手術の前の晩に突然、「やっぱり女の子かも!」と思い、女の子の名前を考えているうちに翌日になっていました。

当日の午前中は手術の準備でした。

半月ぶりくらいに点滴から解放され、シャワーを浴びられて、本当に気持ちが良かったです。

その後、看護師さんから体毛を剃っていただいたり、弾性ストッキングを履かせていただいたりしました。


ストレッチャーに乗せられて手術室に入り、腰椎麻酔の後に排尿のための管が入れられました。

事前に、

「手術開始後5~10分程度で赤ちゃんを取り上げることになります。」

「赤ちゃんが元気だったら、お母さんの顔のそばに赤ちゃんを連れてきてあげるけど、すぐに処置が必要だったらそれができないかもしれません。」

と言われていました。

手術がはじまり、すぐに「かわいい女の子ですよ~!」という声と共に、そばに連れてきてもらった娘と初対面しました。

「元気だったんだ…!」と思ったら、ほっとして涙が出ました。

娘はすぐに保育器に入り、そのままNICU(新生児集中治療室)に入院となりました。

元気でよかった

その後お医者さんが麻酔を強めて下さり、うつらうつらするような状態で過ごしていましたが、縫合が終わって手術室を出る頃にはお腹の痛みを感じ始めていました。

わたしはわからなかったのですが、出血が多く縫合に時間がかかり、事前の説明で聞いていたよりも大幅に時間が押していたそうです。

ひどく心配し生きた心地がしなかった夫をよそに、義父母・実父母の4人は娘の誕生に大興奮だったそうです。

わたしは病室に戻り、麻酔が切れてくるのと同時にお腹の痛みに襲われました。

でも1番強烈だったのは、絶食後初めて重湯をいただいたときの胃の痛みです。
 

低出生体重生児

低出生体重児とは

低出生体重児(ていしゅっしょうたいじゅうじ、ていしゅっせいたいじゅうじ)とは、出生時に体重が2,500g未満の新生児のことを言う。

引用元:Wikipedia「低出生体重児」

早産児やNICUについては、サイト「スモールベイビー.com」がわかりやすく参考になります。
 

小粒な娘

生まれたとき、娘は1,648gでした。

すぐに保育器に入り、そのままNICU(新生児集中治療室)に入院しました。

娘と面会するには、毎回事前の予約が必要です。

わたしが一足先に退院してからは、毎日搾乳した母乳を運びました。

沐浴も教えていただきました

娘は体こそ小さいものの泣き声も大きく元気で、早々に保育器を卒業していました。

元の出産予定日頃までの入院と言われており、生後34日で退院しましたが、退院時でも2,382gでした。

退院の約2カ月後には認可外の保育所に預かっていただくことができ、わたしは職場復帰しました。

退院後も、間隔を空けながら満2才まで入院していた病院の小児科外来で経過観察していただきました。

身長37cm、体重1,684gだった娘も12年経ち、おかげさまで身長147cm、体重32㎏まで育つことができました。
 

出産も一大事

当時はフルタイム勤務の仕事に忙しく、また、「たくさんの人が通ってきた道だから大丈夫」と妊娠・出産をどこか軽く考えていたところがありました。

自分の体の痛みや変化にも、ずいぶん無頓着でした。

娘を妊娠したときから出産までを思い返すと、反省することがたくさんあります。


妊娠・出産でなくても、自分の体の感覚と向き合い、違和感があったら立ち止まるだけの心の余裕は、いつでも必要です。

自分の体を大切にすることは、新しい命を大切にすることだけでなく、自分の周りの人達の幸せにもつながるのだと改めて思います。



Famm出張撮影



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